冬眠

大ファンというほどでもなかったけど

 

時々見ていた「SMAP×SMAP」

 

昨夜が最終回だったようですね。

 

今朝もワイドショーは軒並みその話題・・

 

もう5人で歌うことも、テレビに出る事も

 

なくなるということなのかな・・

 

 

 

この解散にはいろんな噂があって周りがヤイヤイ言っても

 

本人達は一切語りませんでしたね。

 

彼らしか知り得ない事実は、もう明かされる事は

 

ないのでしょう。

 

 

今年の初めの突然の解散報道。

 

一時は収まったかに見えたけど5人の間に入った小さな亀裂は

 

修復不可能だったんですね。

 

スーパースターもやはり人間。

 

何事もうまく乗り切れるほどの技量もなく・・

 

最終、解散という道へ進まなければならなかったと

 

いうことなのでしょうか。

 

でも、SMAPというグループは本当にすごい

 

グループだったなと思います。

 

私が彼らを知ったのは「夢がモリモリ」という番組。

 

「SMAP×SMAP」の前身だったのかな??

 

まだ森くんもいて6人で音松くんをやってる頃でした。

 

アイドルなのに体を張るし、お笑いもやる。

 

今はそんなアイドルは当たり前になってきましたが

 

そういう路線もSMAPが先駆者だったと思います。

 

 

解散とはいっても、もう一切テレビにはでないと

 

いう訳でも無く、個々には活動するのですから

 

いつかまた5人の心境が変化したとき

 

復活なんて話がでれば、いいかなぁと思います。

 

それまでSMAPはちょっと長い冬眠に入ったと

 

言うことで・・・寝る寝る

 

 

 

 

 

 

 

 


病棟の日々 

HCUには1泊しただけで翌日には

 

自分の病室に戻りました。

 

しかし痛さは変わらず、動いたりすると

 

お腹がズキッと痛みます。

 

 

まだ体のあちこちに管が入ってるので

 

動くといっても脚を伸ばしたり曲げたり

 

すこ〜し横を向いたり・・・程度。

 

そして手術から二日目に食事も提供されました。

 

お粥ではありますが、久しぶりにお腹がすいた

 

という感覚だったので美味しかったです。

 

 

これまで薬の副作用で味覚障害になり、何を食べても

 

苦かったので食欲もあまりありませんでした。

 

この時もまだ苦い感覚はあったのだけど

 

それ以上にお腹がすいて食べたい欲求のほうが

 

勝ってたんですね。

 

 

お粥がこんなに美味しいと思えた事で

 

元気になれると感じました。

 

実際は苦かったのだけど、苦いなりに食べられたので

 

手術が終わったという安堵感から精神的に

 

楽になっていたのだと思います。

 

病は気からとはよく言ったものです。

 

そんな自分の変化に気分を良くしていたら

 

看護師さんから思いがけない言葉が・・

 

「もう歩いてみましたか?」

 

 

「はっ!!そうだ!Σ(゚Д゚)」

 

忘れていたのですが、入院治療計画に

 

術後2日目、歩行訓練開始って書いてあったのです。

 

超スパルタじゃん(;_:) 

 

こんなに痛いのに・・(/_;)

 

テンションだだ下がりの私を尻目に

 

看護師さんは

 

「はい。体を起こして足を先にベットから下ろして〜」

 

と、歩かせる気マンマン。

 

しかしこのときの私はまだおしっこの管も

 

外れていない状態だったのです。

 

鬼畜・・(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


帯状疱疹

今月1日、朝起きると首の右側から

 

胸にかけて虫さされのような発疹がでました。

 

少しかゆいくらいなので、ムヒでも塗っておけと

 

思い気にもとめてなかったのですが

 

翌日の夜あたりから頭痛がおこり

 

翌朝には赤い発疹がさらにひろがってきたので

 

もしかして・・と思い病院に行きました。

 

 

結果、予想通りの「帯状疱疹」

 

ヘルペスの親玉のようなウイルス性の皮膚病です。

 

体調が悪いとき、免疫力が落ちているとき、病気のときなど

 

体が弱っている時に発症するとの事でした。

 

私は、それらにおおむね該当するので仕方ないなぁと

 

思っていたけれど、予想以上に「帯状疱疹」は

 

くせ者でした。

 

発疹は体だけでなく頭にもできており

 

それが強烈な頭痛を引き起こしていたようで

 

2日ほどは頭痛のせいで寝込んでました。

 

この頭痛は虫歯に冷たい水がしみるような神経を

 

刺激する痛みで、ズッキーンズッキーンと数分おきに

 

襲ってきました。

 

頭の血管が裂けてしまうんじゃないかと思うくらいの

 

衝撃・・病院でもらった痛み止めがあまり効かない・・

 

 

だから奥の手の「ロキソニン」を飲みたいと思っても

 

皮膚科の先生に帯状疱疹にはロキソニンはダメと言われ

 

我慢するしかないのでした。

 

 

今は発疹も治まってきて頭痛も気にならなくなりました。

 

でも気にならない程度に痛みはあるんですけどね。

 

 

今年も終わりに近づいてなお病気と闘う事になろうとは

 

思いもしませんでした。

 

今年は今まで元気で過ごしてきた分、まとめて体調不良を

 

引き受けた年になったように思います。

 

だから来年はとても元気な1年が過ごせるのではないかなぁと

 

期待しながら大晦日までは、気を抜かずにいきたいです。

 

 

 

 


サポート

昨日の産経新聞にこんな記事が載ってました。

 

 

 

 

医療用のウイッグの購入を補助したり

 

保険の対象とする保険会社も増えているようです。

 

 

医療用ウイッグをオーダーメイドすると

 

20万〜30万円ほどします。

 

なので、なかなか手が出しにくいのが現状です。

 

 

最近はガンを患っても薬や医学の進歩で

 

5年相対生存率が62.1%にもなっており

 

治療を続けながら仕事に復帰する人も増えて

 

いるようです。

 

男性はともかく、女性はやはり髪の毛がないと

 

なかなか人前には出にくいものです。

 

 

私もウイッグを作った時に、保険会社に努める友人に

 

「このウイッグを作る時の費用も半額でもいいから

 

保険でまかなえるように、会議の時に言ってほしい」

 

と頼みました。

 

 

髪の毛がなくなるという経験は、実際になってみないと

 

わかりません。

 

とてもつらいです。

 

私も初めてウイッグをかぶった時、

 

髪の毛があるって普通だと思ってたけど

 

とても感激しました。

 

見た目もかわるけど、気持ちも変化します。

 

だから、ガンやその他の病気で脱毛してしまった人が

 

見た目をきにせず、外出したり仕事にでたりできるよう

 

これからも多くのサポートが出来ていく事を

 

願っています。

 

  (私のウイッグです(^^))

 

 

 

 

 

 

 


ロキソニン様

HCUはICUより少し症状の軽い人がはいる治療室。

 

それでも部屋の中にベットは一つだけ

 

その周りにはいろんな機械がおいてあります。

 

心電図なんかも・・

 

 

私も手術の日、一晩だけそこで過ごしました。

 

家族が帰った後は看護師さんにたよるしかないので

 

ナースコールが命綱。

 

「痛かったり、何かあったら呼んでくださいね」

 

と言われてましたが、どのくらいの痛さで呼べばいいのか

 

テッシュを取ってくれ・・ぐらいの事で呼んでもいいのか

 

なかなか思い切れなくて、かなり痛みも我慢してたと

 

思います。

 

しかし、痛さもピークに達して我慢の限界がきたので

 

押してみました。

 

すると押すのを見てたんちがうか??っていうくらいの早さで

 

「閑楽堂2さんどうしましたか」

 

と言いながら来てくれました。

 

「痛いんですけど(T_T)」

 

すると看護師さんは、例の硬膜外麻酔の点滴を操作し始めました。

 

あの優れものの痛み止め。

 

かっこ悪い思いをして背中に刺したアレです。

 

良かった、これで少しは楽になれるなぁと

 

期待していたのですが・・・

 

見ていると、どうもうまくいかないようで、誰かに

 

電話して指示をもらってました。

 

ひとしきり頑張ってたようですが、パソコンの設定から

 

変更しないとダメだと・・なので今夜は無理ですだって(-_-)

 

 

優れものだと思っていたやつは全然優れておらず

 

結局、この今の痛みを和らげてくれたのは

 

日頃からお世話になってる「ロキソニン」でした。

 

 

腰が痛くてもロキソニン、頭が痛くてもロキソニン

 

子宮を全摘出してもロキソニン

 

 

正直、最近の医療の進化に期待していたのだけど

 

本当の優れものはアマゾンでも買えるし、

 

キリン堂でも買える「ロキソニン」だということを

 

思い知らされた夜でした。

 

 

 

 

 


夢だったのか・・

真っ暗な中を、何かに引き寄せられるような

 

勢いで小さな光に向かって登っている途中で

 

「もう行くのかぁ」

 

と、声が聞こえました。

 

その声の方を見ると、真っ白な着物を着た

 

おじいさんが私に手をあげていました。

 

私は「うん」とうなずいたものの

 

「誰だろう??」思いましたが

 

その直後に麻酔から覚めたので、痛さと寒さのため

 

そのおじいさんの事はすっかり忘れていました。

 

 

そしてそのおじいさんと再会したのは

 

手術から3日目の夜でした。

 

夢の中に出てきたおじいさんは、1人の女の子と

 

一緒にいました。

 

そして私が

 

「今日はその子なん?」と尋ねると「そうじゃ」と

 

返事してくれました。

 

そして私は女の子に

 

「はやく帰れるといいね」

 

と言うと彼女はプイッと横をむいてしまいました。

 

 

その後おじいさんは私に「あんまり無理せられんぞ」と言って

 

女の子を連れて行ってしまいました。

 

 

夢なのだろうけどそこの部分だけ鮮明に

 

記憶しています。

 

女の子はオレンジ色の手術着を着ていました。

 

見たこともない子です。

 

 

今現在の私の中にあるそのおじいさんの記憶は

 

麻酔の覚める直前と、夢の中のものしかありません。

 

でも覚えている会話から、けっこう親しいのでは

 

ないかなと思えてくるのです。

 

 

大きな手術の経験はないので、よく解らないけど

 

手術中って結構きわどいところにいるのかもしれません。

 

一歩間違えば三途の川を渡ってしまうような・・・

 

そんな時にこちらの世界とあちらの世界の狭間で

 

暮らしている人と接する事ができるのではと思います。

 

手術中に私はそのおじいさんと遇い、話をしたのでしょうね。

 

 

あれ以来、夢にも登場しません。

 

でもたぶんどこかで私の事をちょいちょい見ているのかも

 

しれません。

 

おじいさんに言われたとおり、無理せずに

 

これからも元気で過ごしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 


手術のこと 

遠くに光が見えてざわざわとした

 

人の会話が聞こえてきたと思ったら

 

ものすごい寒さと

 

尋常でない痛みを感じました。

 

「痛すぎるし寒すぎる0口0どうなっとん?」

 

麻酔から目覚めての最初の感想です。

 

 

「閑楽堂2さん、閑楽堂2さん」との

 

呼びかけに目を開けたら、そこは手術室ではなく

 

HCU(ハイクオリティユニット)という治療室でした。

 

そして私の周りには看護師さんの他に

 

きょう茶、息子、妹、義姉が心配そうに

 

私をのぞき込んでいました。

 

「終わったぞ。悪い所は全部切除できたって」と

 

きょう茶が言ってくれました。

 

それを聞いてホッとしたのを覚えてます。

 

 

HCUには家族でも10分ほどしか居られないので

 

4人はすぐに出て行きました。

 

 

1人になって強烈な痛さと寒さの中でも

 

「手術、終わったんだ」と思うと安心感がきて

 

この痛ささえも我慢できると感じました。

 

そしてその時に見えた壁の時計は

 

午後5時10分でした。

 

 

 

 

 

 

 


親の心子知らず・・

私と同じ日に手術をする人が

 

何人だったかはわかりませんが

 

同じ時間帯に手術が始まるのは

 

私を含めて3人。

 

そしてそのうちの1人は1歳にもなっていないであろう

 

赤ちゃんでした。

 

私の隣の椅子で必死にお母さんにしがみついている

 

その赤ちゃんも手術着を着せられており

 

囲まれている看護師さん達を

 

びっくりしたような目で見つめていたのが

 

印象的でした。

 

たぶん女の子だと思います。

 

ぽちゃぽちゃしてて、髪の毛もいっぱいあって

 

どこも悪いようには見えなかったけど

 

手術しなくちゃいけないんだね・・

 

お母さんはどんな気持ちだろう

 

代われるものなら代わりたいと思ってるだろうな。

 

 

そうだ、私の息子は何を思ってるんだろう・・

 

代わってあげたいとは、絶対思ってないだろうけど

 

手術の成功を祈ってくれてるだろうか??

 

赤ちゃんとお母さんを見ながらそう思ってました。

 

 

そして手術から1週間後、妹との会話で、あの日の息子の行動が判明。

 

私が手術室に行ってから、病室に戻って速効

 

私のベットで昼頃まで寝てたと・・・

 

「仕事、疲れるんよな」と言って。

 

 

なんか。。肝っ玉のでかい男で良かったです(T_T)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


手術のこと 

手術室にはストレッチャーに乗せられて

 

手術室の前で「がんばって」とか言われて入って行く

 

みたいな事を想像してましたが、実際はちょっと違いました。

 

 

予定時間の少し前に看護師さんが部屋に来て

 

「では手術室に行きますので付いてきてください。」

 

ここですでに予想外の事態・・「歩くって・・歩く

 

なんたって下着もつけてない状態で、かなり薄っぺらい

 

手術着だけ。

 

頭にも紙のヘアーキャップをかぶるように言われて

 

もらってました。

 

ヘアーもないのにね・・Docomo_kao8

 

 

そして手術室の前で、きょう茶、息子、妹に

 

「行ってきますちゅん手

 

と言い、人生をかけた大勝負の1日が始まったのです。

 

 

手術室と書かれた扉の中は、手術室とはほど遠い感じの

 

部屋でした。

 

そこで名前、年齢、病名など再確認され諸々の説明を受けた後

 

本当の手術室に連れていかれました。

 

ここでも手術台までは自分で歩いていくのです。

 

大きな鉄のドアには「閑楽堂2 様」と書かれた名札が

 

ついており、自動で開いたドアの中には今度こそ

 

ドラマで見る、大きなライトと手術台が部屋の真ん中で

 

私の到着を待っていました。

 

そして手術台にあがり、寝た時に見た時計は

 

午前8時50分でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


手術のこと 

「切除できないって言われてもなぁ・・」

 

てことは、これからも薬や放射線の治療に

 

頼っていくって事なんだろなぁと

 

考えていたら、これから先に

 

希望がもてないと思ったので先生に

 

「もし、骨盤までガンに冒されてたら

 

お腹はすぐ閉じてもらってかまわないけど

 

6時間くらい麻酔で寝かしといてください。

 

そんで「手術は成功しました」の体でお願いしますおねがい

 

と言ってみました。

 

後ろに座ってた女医さん2人は「ぷっぷっ」と

 

吹き出しましたが、主治医のN先生は真顔で

 

「それは出来ません真顔」と言いました。

 

「やっぱりねてへ

 

 

その後先生は

 

「今までの経験から言うと、たぶん骨までの浸潤はないと

 

思われます。しかし細かいところは切ってみないと

 

解らないのでね。」だって。

 

それから、卵巣をどうするかとも聞いてきました。

 

卵巣は正常でガンの転移もなさそうとの事。

 

まぁこれも「なさそう」というくらいの事で

 

実際に見てみたら卵巣もあかんという可能性は

 

なきにしもあらずです。

 

 

一瞬、正常だったら切除せずに残そうかなと思いました。

 

でもその時、妹に言われた言葉が頭の中にぶわぁ〜と

 

湧いてきたのです。

 

「姉ちゃん、卵巣も残したらあかんよ。

 

きれいさっぱり全部とってくれって、先生にいいなよ。

 

残した事で後々まで心配するのは、しんどいよ怒り顔

 

 

妹にそう言われて「絶対そうする」と約束してたのに

 

危うくその約束を破るところでした汗汗

 

 

結局、卵巣も取ることにしました。

 

そして平成28年6月7日に

 

「広汎子宮全摘出手術」を受けたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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